クレーンゲームに観る観点の障壁の問題
職場の飲み会の帰り
夜の新宿を歩く道すがら
一直線な眼差しに歩みを止めた
その眼差しの張本人は
クレーンゲームの中に
ちょこんとたたずむスライム
自分の目の前にいるスライムの眼差しは
完全に
「仲間になりたそうにこちらをみている」だった・・・
そんな眼差しを向けられた自分のこころは
「このスライムと無限大に出会いたい・・・」
しかし、その出会いたい意志を邪魔する
冷たいガラス一枚
透明なのに確実に存在する
わずか数ミリの分厚い障壁
その障壁に私とスライムの出会いが阻害される
あぁ出会いたい
私とスライムを疎通交流させるものは
クレーンのアームただひとつ・・・
出会いたい・・・
そんな純粋な意志で投入される百円硬貨計10枚
しかし、無情にもクレーンはスライムを私の手の中に運んではくれなかった
そのとき思った
「このガラスさえなければ!なんて罪作りなガラスなんだ。そして、ガラスはなんて観点の障壁と似ているのか」と
現代の人間がこれから越えなければいけないものは
「観点」です
(観点のことが分かりやすい動画)
https://youtu.be/IHQuSt1-77k
人間はみんないろんな人と出会って感動したいのに分かり合えない
その原因はガラスよりも目には見えない観点の障壁が有るからです
その目に見えない障壁が原因で分かり合えない出会いを繰り返して傷つく
そして、諦める
これからの人間はこの観点の障壁の存在とメカニズムを理解して
ガラス1枚あるおかげで取りたくても取れない状態を楽しむクレーンゲームように
出会いをたのしむことが必要ですね(゜∀゜)