nTech+たけしの挑戦状「人生をクソゲーにしないために」

たけしの挑戦状


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(なぜか今も持っている・・・)

 

もう知らない人の方が多いと思うけど

ファミコンで発売された

ビートたけしさんが作ったゲームでして

 

「伝説のクソゲー

 

と(愛をこめて)言われる作品だ

 

この作品が

何で伝説のクソゲーと呼ばれているのか

 

それは・・・

 

「圧倒的不条理」だから

 

どんな不条理かというと

ゲームをクリアするために必要な情報が

ゲームの中で教えてくれないことだ

(フツーにプレイしてたら絶対わからないだろ!ってレベルがノーヒントなのだ)

 

RPGだと始まってすぐに

「姫をさらった魔王を倒して世界を救って」

とゲームの大筋を教えてくれるし

所々でゲームを進めるうえで重要なヒントを

教えてくれる

 

しかし

たけしの挑戦状

ゲームが始まるといきなり社長室で

何をしていいのかわからないまま右往左往

(社長を殴ったりできるけど数発なぐると飽きる)

自由に町中を移動できるし

ヤクザとも喧嘩できる

カラオケも歌わなきゃいけないのに

 

ゲームをクリアするのに

何をどうしたら正解で何が必要なのか

全く教えてくれない・・・

 

ゲームをやってるとどんどん蓄積される

圧倒的手詰まり感と絶望的虚無感

 

それがどうしようもなくなると

リセットボタンに手を伸ばし

スーパーマリオを「ふーふー」して

ファミコンに差し込むのが

自分がたけしの挑戦状をやるときの

お決まりのパターンでした・・・

 

しかし

この「たけしの挑戦状」は

人間の人生の限界ににているなぁと思う

 

たけしの挑戦状

ゲームをクリアするために

何をやったらいいのかわからない

人間は

人生をどうやって生きたらいいのかわからない

 

そもそも

自分がどこから来てれてどこへ向かうのか

人間とは生きるとは一体なんなのか

幸せとはなんなのか分からずに

そして誰からも教えてくない状態で

人は生きていかねばならないのが現状です

 

人間の一番知りたいことをあきらめて生きるしかありません

 

まさに人生は

ゲームクリアに必要なことを教えてくれない

たけしの挑戦状みたいです

 

ゲームだったらリセットボタンをおして

次のカセットをふーふーすればいいですが

 

人生はそうはいきません

 

人がなんなのか幸せとはなんなのか

分からなくても

昔はまじめに会社で働いていれば

それなりの生活ができるといった

モデルがありましたが

 

現代ではそのモデルは通用しなくなっています

より人として生きるのに迷いや戸惑いが

多くなっています

 

選択肢は多いのに

それが人間が一番知りたい答えに

繋がってるか確証が持てない生き方は

とても辛いと思います

 

なんのために生きるのか確証が持てずに

情報はスマホからどんどんはいるので

相対比較がとまらずに

うつになったり心が病むのは当たり前

 

若者が無気力になるのも

若者は賢いので

自分の人生がたけしの挑戦状のように

クソゲーだと感じてるのに

自殺したりすると周りが悲しむので

仕方なく生きているのではないのでしょうか?

 

今からの時代は

今までの教育が答えを出せずにいた

存在とは一体なんなのか

人とは一体なんなのか

幸せとは一体なんなのか

に答えを出す必要があります

 

人生をクソゲーでなく

自分自身で神ゲーにできる教育が必要です。

 

自分で自分の人生ゲームを創造するには

ゲームを作る仕組みを知らなければ行けません

 

自分の人生をわけのわからないクソゲーから

わけが分かって楽しめる神ゲーにする技術が

nTech(認識技術)です

 


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