不必要になることを基準点に

人に必要とされることは大事なことだ

人に対して不信不安が強い現代で

信頼され必要とされることはとても素晴らしい。

 

しかし

自分自身の存在価値や存在する意味の基準点を

「人に必要とされること」

にしてしまうのはとても危険だ・・・。

 
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人が「必要」を感じるとき

その背景には

自分の力だけでは解決できない問題がある

病気という問題がなければ薬が必要でない様に

なにか、問題があるから必要がうまれる

 

しかし、問題には解決が必ず訪れる

問題が解決されれば必要も影をひそめる

 

「誰かに必要であること」は永続するものではなく一過性のものなのだ

 

 そんな一過性の必要を自分の存在理由にしてしまうと不安定だし疲れてしまう。

 

刀は人を切るために必要とされる。

しかし、よく切れる刀ほど鞘におさまって普段は切れない様になってるものだ。

そんな刀を達人が使えば刀が抜かれた状態なんてほんの一瞬だけだろう

 本当に必要性の高いものほど不必要な時が長いし、役目を終えると潔く不必要に帰すもの・・・

 

 

 人間の観点からみたら相対比較が止まらずに

となりの人より

価値ある人間になろう、必要とされる人間になろうと考えてしまいがちだ

必要か否かなんてものは所詮、人間だけの固定した観点からうまれたもの

条件によってコロコロ変わる錯覚だ

 

人間の観点から自由になれば

人から必要とされるかされないかなんて「おまけ」みたいなものだ

存在そのものの尊厳性と芸術性に比べれば微々たるもの

必要でも尊厳だし、不必要でも尊厳。

大前提は必要も不必要もない

ただの尊厳ひとつがあるだけだ

 

現代は情報過剰な社会であると同時に役割過剰、期待過剰な世の中だと思う。

そんな環境で過ごしているとついつい

「人に必要とされねばならぬ」とか考えてしまいがちだし、必要とされなければ不安になることもあるだろう

なんて大変なことだろうか・・・

 

無限の力と可能性は関係性の中にある

必要を求められる現代社会だからこそ

「不必要になることを基準点」にすることも大事なことだとおもう

役立たずくらいが調度いい


役立たずくらいが調度いい - dakesu’s blog