花粉症から見える「認識が世界を変える 」ということ
認識が世界を変える。
春の訪れが感じられる暖かな日差し
風はまだ冷たいが
春が近づいて来ているのを体感できる今日この頃・・・。
自分はこの時期が好きだが
花粉症の人にとっては
イヤな季節がまた来るのか・・・(-_-;)
という、感じなのだろう
同じ季節に対して「好き」と「キライ」が生まれる。
そこの違いにいったい何があるのか
花粉症の人とそうでない人を分けるものは一体なにか・・・。
それは、身体が花粉をアレルゲンと認識するかしないかの違いだろう
花粉に対して身体がどんな認識をするかで
春を好きになるかキライになるか分かれてしまう。
人間はなにか判断をするときには、その裏側に必ず「認識」という作業をしている
花粉症の人は花粉を身体が過度にアレルギー物質と認識して花粉症という結果が生まれて、それが感情や考え、判断に影響を及ぼす
花粉症になる人ならない人がいるから春に対してのイメージに違いが生まれるが、全人類が花粉症なら春に対して、全人類がみんなイヤなイメージを持って疑わないかもしれない。
同じ場所にいても
花粉症の人とそうでない人で目の前に広がる世界は違うし、そこから生まれる感情や考え、行動にも違いが生まれる
人と犬も認識の仕方が違うから、見てる世界は違うし、感情や考え、行動に違いがある
その違いを生み出しているのは、認識の違いがあるからだ
自分の目の前にあるものは気がつきにくいけども
認識の結果体なのである
花粉症の人が鼻水とくしゃみを止められないように
人間は戦争を止められていない
戦争がない期間は作れるが
何かしらのきっかけでが戦争おこる
まさに春になったら花粉症になるように
動物は戦争をしないのに人間は戦争をしてしまう。
感情や考え、行動は認識の結果体だ
「人間が戦争をやめられない」症状の裏には人間に初期設定されている、人間独自の認識
の仕方があるからだ(脳のクセ)
花粉をアレルギー物質と認識してなってしまう人が花粉症になるのように
全人類の認識は「戦争をやめられない」独特の認識をする「認識疾患」をもっている
(全人類が認識疾患なので気がつきにくいけど)
人間の独特の認識から生まれる問題を解決するのには認識を観点を上昇させる変化が必要だ
みんなが欲している戦争のない世界「平和」は人間の認識の変化からうまれる
「認識が世界をかえる」